2022年6月5日 豊田信行牧師
山上の垂訓4 悲しむ者は幸いです
多くの人にとって「幸い」とは人生において悲しみと出会わないこと、悲しい目に遭わないことではないでしょうか。イエスが言われた「悲しみ」とは、ある種の喪失の悲しみです。それは「罪ある者」となったことで、「失われた者」となったことを悲しむことなのです。
多くの人にとって「幸い」とは人生において悲しみと出会わないこと、悲しい目に遭わないことではないでしょうか。イエスが言われた「悲しみ」とは、ある種の喪失の悲しみです。それは「罪ある者」となったことで、「失われた者」となったことを悲しむことなのです。